旧唐書に見る倭国
前回、次は「他の中国正史に見る邪馬臺國の位置について書いてみようかな?」な~んて書いてから早2年が過ぎました。(笑)前回「後漢書に見る倭国」で「当時の中国側から見た倭国の範囲とは広くとも西日本」と書きましたが、まずその外枠を確認したいと思います。※旧唐書(Wikipedia)『旧唐書』(くとうじょ)は、中国五代十国時代の後晋、出帝(942年 -...
View Article『隋書』から倭(ヤマト)国の所在地を特定する①
夏、殷、周、秦の始祖は黄帝の子孫(らしい)いきなり主題から外れますが、『隋書』倭国伝の中には、かなり興味深い記述がありますので、その点に関し若干予習したいと思います。文章をまとめるのが面倒なので、今回は主としてWikipedia等から引用抜粋(一部文章を書き変えてます)し、コメントを加える形で書いてゆきます。(楽だわ~) ◯引用部 ※乃良根公の解説◯論衡(ろんこう) 後漢 王充(おうじゅう・27年...
View Article『隋書』から倭(ヤマト)国の所在地を特定する②
『隋書』倭国伝倭國 在百濟新羅東南 水陸三千里 於大海之中依山島而居 魏時 譯通中國 三十餘國 皆自稱王 夷人不知里數 但計以日 其國境東西五月行 南北三月行 各至於海 其地勢東高西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 古云去 樂浪郡境 及帶方郡並一萬二千里 在會稽之東 與儋耳相近倭国は、百済・新羅の東南、水陸三千里に在り。大海中に於いて山島に依りて居る。...
View Article『隋書』から倭(ヤマト)国の所在地を特定する③
明年 上遣文林郎裴清使於倭國 度百濟 行至竹島 南望𨈭羅國 經都斯麻國 迥在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以為夷洲疑不能明也翌(608)年、皇帝、文林郎、裴清を倭国に使わす。 百済を渡り、竹島に至り、南に𨈭羅国を望み、都斯麻国の遙か大海中に在るを經。また東して一支国に至り、また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人、華夏に同じ。...
View Article『隋書』から倭(ヤマト)国の所在地を特定する④
又經十餘國 達於海岸裴清が達した「海岸」とは一体どこか?倭王遣小阿輩臺 從數百人 設儀仗 鳴鼓角來迎倭王の都の海岸です。都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也都とは、つまり、倭国の都である邪靡堆(やまと)の海岸です。先に書いたように、この記録は日本書紀にも記されています。 ※以下の日本書紀原文・訳文は こちら から引用させていただきました。...
View Article結局「邪馬臺国」ってどこなの?①
上古の日本の姿を知りたいと思った時、まず史料とすべきものは8世紀の記紀となりますが、当然それらが編纂された時代以前の歴史は、各氏族間に何世紀も語り継がれた神話や伝承となります。もっとリアリティのある史料を求めると、中国史料を参考にするほかないのです。その中でも、いわゆる魏志倭人伝は、つとに有名ですが、これは『三国志』の「魏書」の「東夷伝」の中の「倭人」条で、文字数では三国志全体の0.5パーセントにし...
View Article結局「邪馬臺国」ってどこなの?②
一方そのころ、我が日本はどんな姿だったのか?漢書 卷二十八下 地理志第八下 燕地条然東夷天性柔順 異於三方之外 故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫 樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云後漢書 列傳 卷八十五 東夷列傳倭在 韓東南...
View Article「平成狸合戦ぽんぽこ」 金長神社を守れ
「平成狸合戦ぽんぽこ」(高畑勲監督)にも登場する、阿波の金長狸を祀る金長神社が存続の危機です。「阿波の狸合戦」で有名な金長狸をおまつりする金長神社はこれまで『平成狸合戦ぽんぽこ』の他、「有頂天家族2」「姫さま狸の恋算用」「みかんはまだ青い」などの様々な作品でモデルとなり、人々に愛される聖地となってきました。『平成狸合戦ぽんぽこ』では人間により狸をはじめとする自然界の生き物が追いやられ、元からあった多...
View Articleブログ移転します
放置ブログにも関わらず、連日多数のご訪問を頂き、ありがとうございます。TOPページに案内しましたとおり、当ブログは「はてなブログ」へ引っ越します。移行先の整理がつくまでは閲覧できない状態ですが、若干の手直し等を加えて再開しますので、今後とも宜しくお願いいたします。
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